今も現役 太閤下水

太閤下水
秀吉が大坂という日本有数の都を造りましたが、人口密集地となりますので都市問題がいろいろと出てきます。
まず水問題です。京都は盆地の下に巨大な水がめがある土地なので湧水も多く、水には困りません。大坂も上町台地は良質な井戸が湧いていましたが、周辺の低地では井戸を掘っても塩気などが強かったので飲み水に適しません。大川の上流で汲んだ水を水売りが売り歩いていました。これで上水はOKですが、問題は下水です。
大坂城を造る時に城下町を都市計画し船場などが生まれます。道路整備とあわせて、町屋から排出される下水を排除するために下水溝が碁盤目状に整備しました。これが太閤下水で、今から400年以上前に造られました。太閤下水から東横堀川や西横堀川に排水され、さらには大川へ放流されていました。この下水、一部が今も現役で使われています。谷四(谷町四丁目)近くの南大江小学校の脇に、この太閤下水を見学できる所があります。
江戸は神田上水や玉川上水が整備されましたが、下水は整備されなかったようです。長屋から出た糞尿は近郊の農家に販売し、これが大家の貴重な収入になったので、商都だった大坂とは事情が違っていたようです。

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